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東京高等裁判所 昭和40年(う)1479号 判決 1971年2月20日

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人らの連帯負担とする。

理由

<前略>

森長弁護人等弁護人三二名の控訴趣意第二点、鈴木弁護人の控訴趣意第三点(法令適用の誤りの主張)について。所論は、要するに、原判決は、原判示各名誉毀損の事実を認定したうえ、刑法第二三〇条の二にいう真実の証明があつたとするには、公然事実を摘示して人の名誉を毀損した行為につき、その摘示された事実であることの蓋然性が合理的な疑いを容れない程度に証明されたことを要するのであり、本件においては、原判示各摘示された事実について、右の程度の真実の証明がないので、同条を適用する余地はないものとして、被告人らに対し有罪の言渡しをしたが、右の証明は、原判決の説示する程度の高度のものである必要はなく、摘示事実の真偽につき疑いを生じさせる程度の証明で足りるものと解すべきであつて、この点において原判決には、法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

案ずるのに、刑法第二三〇条が、公然事実を摘示して人の名誉を毀損した行為をその事実の有無を問わず罰することとしているのに対し、同法第二三〇条の二は、公共の利益の上からは時に事実を摘示して人を批判する必要があり、かつ、かくすることが社会の発展に資する場合が少なくないことにかんがみ、個人の名誉の保護と表現の自由ないしは批判の自由との調和を図るため、事実を摘示して人の名誉を毀損した行為があつた場合においても、摘示事実が公共の利害に関する事実であり、かつ目的が専ら公益を図るに出たものであると認められる限りは、裁判所において、摘示された事実の真否につき審理し、関係証拠を取り調べた結果、摘示された事実が、実際の出来事と符合する高度の蓋然性を有する意味において、真実であるとの積極的な確信を得ることができるものである場合は、行為の違法性が阻却されることとしたものと解するのを相当とする。所論は、被告人に真実についての挙証責任があるものとし、このことを前提として、右の証明は、有罪判決を言い渡すため必要とされる証明よりも程度の軽いもので足りるものと解すべきである、と主張する。なるほど、同条の規程を解釈するにあたつて、被告人に挙証責任があるものとされることがないではないけれども、右は、前述のように、裁判所が、事実の真相の究明に努力したにもかかわらず、積極的に摘示事実であることの確信に達することができない限りは、その真実であるか虚偽であるかについて疑いがあつて、そのいずれとも断定しえない場合においても、被告人は、真実の証明がないものとして、不利益な判断を受けなければならないことを意味するものと解すべきものであつて、真実の挙証責任が被告人にあるものとされている事例をとらえて、直ちに右の証明の程度はいわゆる証拠の優越の程度をもつて足りるものとし、また、有罪認定に必要な程度の高度の蓋然性の証明を必要としないものと解することはできない。元来、ある犯罪につき、被告人を有罪と認定するについては、裁判所が、適法な証拠に基づき、合理的な疑いを容れない程度に被告人がその罪を犯したものであることの心証を得るに至ることを要するのである。しかるに、私人が、本件におけるように、犯罪にあたる事実を摘示して人の名誉を毀損した場合には、その被害者が右の罪を犯したとの事実について、裁判所が、真相究明の努力をしたにもかかわらず、有罪の認定をする場合に必要とされる、合理的な疑いを容れない程度の心証を得させるだけの証拠を見いだすことができず、たかだか、右の事実を認めることのできる証拠の方が、これに反する証拠よりもより多く信用できる意味でのいわゆる証拠の優越の程度またはそれより低い程度の、有罪の認定をするには不十分な証拠があるに過ぎない場合であつても、摘示された罪を被摘示者が犯した事実の証明があつたものとして、摘示者の罪責を免れさせるべきものと解することは、刑事事件の被告人とされた場合であれば犯罪者と認めるだけの証拠のない被摘示者をも、摘示者に対する名誉毀損被告事件の被害者としては、せいぜい証拠の優越の程度で裁判所が、その判決中に右の被害者が真犯人である旨を判示して、犯罪者のらく印を押し、刑罰を科することはしないまでも、これを事実上社会から葬り去る不当な結果を招来することを法律上許容することになるのであつて、有罪の証明に必要とされる程度の証拠資料が現に存在しているものと認めることが困難な場合に、軽軽に公然人を犯人呼ばわりすべからざる当然の事理をも考慮すれば、とうてい所論のような解釈が許されるものとすることはできない。したがつて、右法条にいう真実の証明もまた、有罪判決におけるものと同様、合理的な疑いを容れない程度に、摘示された事実が真実であることの心証を得させるに足りるものでなければならないものと解するのが相当であつて、右と同趣旨に出た原判決のこの点についての判断は相当であるから、所論は採用することができない。

なお、公訴の提起されていない人の犯罪行為に関する事実を公益を図る目的で公然摘示して人の名誉を毀損した場合においても、行為者において、行為の当時自己が公然摘示した事実が真実であると信じ、かつ、そのように信じるについて相当な事由があつたと認められるときは、行為者に故意がないこととなり、名誉毀損罪は成立しないものと解すべきであるが、本件についてこれを見るに、被告人鈴木忠五は、李得賢および鈴木一男両名に対する強盗殺人被告事件の控訴審および上告審の弁護人であり、被告人正木昊は、その上告審継続中の昭和三五年三月二八日から右両名の弁護人となつたものであつて、いずれも、原判示第一の犯行当時においては、右強盗殺人被告事件の第一、二審において右両名を有罪とする判決の言渡しがあつたことを、また原判示第二の「告発」発行の当時においては、上告棄却の決定により右事件の有罪判決がすでに確定していることをそれぞれ知しつしていたものと認められるばかりでなく、右各犯行当時、本件被害者らを右強盗殺人の犯人と認めるに足りる新たな証拠資料を入手していたというような特段の事情があつたわけもでないことが記録上明らかであるから、本件各犯行当時、被告人らにおいて、本件被害者小出栄太郎ら三名を右強盗殺人事件の真犯人であると信じていたものとは認め難く、また仮に被告人らがそう信じていたものとしても、そう信じるにつき相当な事由があつたものとは認められないから、この点においても、被告人らに対し本件各名誉毀損の罪責を認めた原判決は相当であつて、法令の解釈適用を誤つた違法があるものとはいうことができない。論旨は理由がない。

森長弁護人等弁護人三二名の控訴趣意第三ないし第八点、稲本弁護人等弁護人四名の補充控訴趣意、被告人両名の控訴趣意(事実誤認の主張)について。

所論は、要するに、原判決は、李得賢および鈴木一男に対する強盗殺人被告事件について言い渡された有罪の確定判決を維持するため、本件において、右事件の真犯人が本件被害者らであつて、右李および鈴木ではない事実を認めなかつたが、右は、証拠の取捨選択を誤り事実を誤認したものである、というのである。

よつて案ずるのに、李得賢および鈴木一男に対する所論の確定の有罪判決により認定された事実は、再審の手続によるのほかは、法律上これを動かす手段はないのであるから、本件において右確定判決の事実認定の当、不当を論ずることはとうてい許されないところであるばかりでなく、右李および鈴木と本件被害者らとの間に、李らが犯人でなければ右被害者らが犯人であり、右被害者らが犯人でなければ李らが犯人であるという二者択一的な関係が存するものとは認めがたいから、仮に本件の証拠により右李らが右殺盗強人被告事件の犯人でないことを証明しえたとしても、そのことから直ちに本件被害者らが右強盗殺人事件の犯人であるとする本件名誉毀損の摘示事実の証明があつたものとすることはできない筋合いであるので、結局本件に現われた各証拠により右摘示事実が真実であることを証明しえなかつたものとする原判決の判断の当否が問題となるが、所論に基づき記録を精査し、さらに当審における事実取調べの結果を参酌しても、本件被害者らが前記強盗殺人事件の犯人であることの合理的な疑いを容れない程度の証明はもとより、いわゆる証拠の優越による証明があるものとも認められない。すなわち、所論の各点について検討するのに、

(1)  犯行の動機について。

記録ならびに当審における事実取調べの結果によれば、この点について原判決が、前記強盗殺人事件の被害者小出ちよ子と本件各名誉毀損事件の被害者小出栄太郎、小出幸子および小出博の各関係、生活状況等について認定したうえ、これらの事情からは、栄太郎および幸子夫婦にちよ子を排して同女の経営する運送業を自己らの手に収めようとする意図があつたことも、ちよ子の所有に属する不動産の奪取を企図していたことも認めることができず、さらに博についても、あえてちよ子を殺害して同女の所持金ないしは営業権の奪取を企図する必要があつたものとは認められないとし、結局右栄太郎ら三名にちよ子を殺害する動機があつたとする所論は臆測の域を出ない旨説示しているところは正当であつて、原判決の認定に誤りがあるものとは認められない。

(2)  定期預金証書の発見について。

この点についても、原判決が、証拠に基づき、三和銀行発行のちよ子名義の額面八万円の定期預金証書および綾子名義の額面七万円と五万円の各定期預金証書について、警察署への紛失の届出がなされ、それらが、前記強盗殺人被告事件の被害物件として取り扱われたこと、その後昭和三〇年九月二二日右各定期預金証書が、母親いうの自宅から発見されてその届出がなされたため、右被告事件の被害物件から除外された経緯等について認定しているところは相当である。所論は、右の事情は、内部犯行の証左であるというけれども、右のような事実があり、また、定期預金証書が発見された際母親いうが、「ちよ子が死んでからあとあとまでこんな思いをするなんて生きているのが厭になつた。どこか遠い所へ行つて死んでしまいたい。」と言つたことがあるからといつて、直ちに前記強盗殺人事件の犯人が内部の者、すなわち本件被害者らであるとすることはできない。捜査官中山照二に関する弁護人の主張を考慮に入れても、原判決の判断は正当であつて、誤りがあるものとは認められない。

(3)  藤枝営業所の手拭と本件被害者らとの関係について。

所論は、前記強盗殺人事件の際死体となつて発見されたちよ子の口部を縛るために用いられていた手拭は、栄太郎等本件被害者三名のうちだれかが入手したものである、というのであるけれども、原判決も正当に認定しているように、記録を精査しても、右三名のうちのだれかが右手拭を入手したものであることを認めるに足りる証拠は存しない。所論は、単なる臆断にすぎず、原判決の認定を左右するに足りる根拠があるものとはいうことができない。

(4)  死体発見後、栄太郎、幸子および博に不審な行動があつたとする点について。

原判決は、この点に関する被告人らの原審における(1)ないし(8)の主張について、それぞれ証拠に基づき事実を認定したうえ、本件被害者らの行動には異常と考えられる点がないではないけれども、それらは、一応説明のつくものであり、これをもつて右栄太郎らが前記強盗殺人事件の犯人であることを窺うに足りる不審な言動と認めることはできない旨説示している。そして、右証拠を精査しても、右事実の認定は相当であり、また、いずれの点についても原判決の説示するような説明がなしえられないではないのであつて、これをもつて右栄太郎ら三名に右強盗殺人事件の犯人であると疑うに足りる不審な行動があつたものとは認定できず、この点に関する原判決の判断に誤りがあるものとは認めることができない。

なお、所論は、大村鑑定によれば、共犯者は三名以上であると見るのが相当であるとし、また死体発見時における栄太郎、博等の供述には矛盾があると主張するが、原判決も証拠に基づき詳細説示しているとおり、これらいずれの点においても、右栄太郎ら三名が前記強盗殺人事件の犯人であると疑うに足りる事由があるものとは認められず、さらに、以上のすべての点を総合して考察しても、本件被害者ら三名が右事件の犯人であるとの本件摘示事実の証明があつたものとはいうことができず、当審における事実取調べの結果によつても右認定を左右することができないから、これと同趣旨に出た原判決には、以上(1)ないし(4)のいずれの点よりするも、事実の誤認があるものとは認められないので、所論は採用することができない。論旨は理由がない。

森長弁護人等弁護人三二名の控訴趣意第九点(法令適用の誤りの主張)について。

所論は、被告人らの本件各所論は、その動機、目的において正当であり、その手段方法において相当であり、法益の比較衡量においてもその当を失していない行為であり、また前記李および鈴木を救うために他にとるべき有効な方法がなく、やむを得ざるに出た行為であるから、実質的に違法性を阻却されるものであつて、原判決が被告人らに対し有罪の言渡しをしたのは、違法性に関する法の解釈適用を誤つたものである、というのである。

案ずるのに、刑事事件において弁護人は、被告人の利益を擁護する訴訟上の権限を有するものであるから、その権限に基づいて行なう訴訟上の行為は、たまたま人の名誉を毀損することがあつても、正当行為としてその違法性を阻却されるものと解すべきであるが、たとえ被告人のためであつても、弁護人が訴訟手続の場以外の場においてなす行為は、その訴訟手続の場における弁護人の行為とは区別して評価すべきものであつて、前者の行為がなんらかの刑罰法令に触れる場合は、訴訟手続の場におけるものとは異なり、弁護人において被告人の利益擁護のためなしたものであるからといつて、その罪責を免れうるものと解することはできない。刑事訴訟法において一定の訴訟手続が定められている以上、弁護人は、その手続内において被告人の利益の保護を図るべきであつて、その手続を離れてなした行為は、それが禁止されていない場合は格別、本件のように他人の名誉を毀損するような場合は、所論のように上告審において十分な審理を受け、検察庁の捜査を促し、または再審の請求をするについて必要な新証拠の発見が困難であつて、これが収集に一般社会の協力を得るため必要であるというような理由があつたとしても、正当行為としてその違法性を阻却されるものとはいうことができず、これと同旨の判断に出た原判決は正当であり、所論は、独自の見解に立つて原判決を非難するものであつて、採用することができない。論旨は理由がない。

森長弁護人等弁護人三二名の控訴趣意第一〇点(法令適用の誤りの主張)について。

(一)まず所論は、原判示第一の被告人らの所為は、被告人らが弁護人として委任を受けた前記李および鈴木が、同人らに対する強盗殺人被告事件の第一、二審において言い渡された判決の結果、えん罪によりそれぞれ無期懲役および懲役一五年の各刑を執行されるおそれが発生するに至つた現在の危難を避けるため、やむことを得ずしてなされたものであつて、右避けんとした害の程度は、右の行為が本件被害者らに与える害の程度を甚しく越えるものであるから、被告人らの本件所為は、刑法第三七条第一項に該当するものであつて、これを認めなかつた原判決には、法令の適用を誤つた違法がある、というのである。

しかし、被告人は、法の定める訴訟手続により審判を受ける権利を有するとともに、右訴訟手続において確定の有罪判決により刑の言渡しを受けたときは、右の刑に服すべき法律上の義務をも有するものであつて、本件において、前記李および鈴木が、原判示第一の日時当時、それぞれ前記強盗殺人被告事件の被告人として所論指摘の各刑の言渡しを受けて上告中であつたことは証拠上明らかであるが、その間刑法第三七条第一項にいう現在の危難があつたものとは認められず、仮にしからずとしても、なお訴訟手続上の救済手段が残されていたわけであるから、被告人らの本件所為をもつて同条項にいうやむことを得ざるに出たものとも認められないので、所論は採用することができない。

(二)次に所論は、原判示第二の所為について、李らに対する強盗殺人被告事件の上告が昭和三五年七月一九日棄却され、同人らの有罪が確定したため、そのえん罪を晴らすには、再審の請求以外に方法がなくなり、しかも、再審の請求をするについて必要な新証拠を集めるためには、一般社会の協力と検察官による本件名誉毀損の被害者らに対する再捜査を必要とするが、本件所為は、他に右の必要に応ずべき適当な方法がないため、やむを得ずしてなされた緊急避難行為であるにもかかわらず、原判決がこれを認めなかつたのは、法令の適用を誤つたものである、というのである。

しかし、正当な訴訟手続を経て有罪の確定判決を受けた者は、再審の結果右確定判決が改められない限り、これによつて言い渡された刑の執行を受けるべき法律上の義務を負うものであつて、本件において、前記李および鈴木は、同人らに対する強盗殺人被告事件の上告棄却決定により有罪判決が確定してこれにより言い渡された各刑の執行を受げるべき義務を法律上免れえないこととなつたのであるから、右の事実をもつて刑法第三七条第一項にいう現在の危難にあたるものとすることのできないのはもとより、再審の請求をするための新証拠の収集が必要であるからといつて、本件所為をやむを得ざるに出た行為であるとすることもできない。したがつて、本件についても、同条項の適用はないものというべきであるから、これと同趣旨に出た原判決は正当であつて、なんら法令の解釈適用を誤つた違法は認められないので、所論は採用することができない。論旨は理由がない。

鈴木弁護人の控訴趣意第一点(法令適用の誤り、事実誤認の主張)について。

所論は、名誉毀損罪が成立するには、摘示者がその摘示した事実を単に不実だと信じまたは真実だとは確信していなかつたというだけでは足りず、さらに、その摘示が、そねみ、ねたみ、憎悪、敵意等からなされたことを必要とするのであつて、この点を看過した原判決には、法令の解釈を誤り事実を誤認した不当がある、というのである。

しかし、刑法第二三〇条所定の名誉毀損罪の成立には、その構成要件に該当する事実とその故意があれば足り、それ以外において所論のような主観的要素の存在を要しないものと解するのを相当とする。所論は、同法第二三〇条の二が、名誉毀損の行為を罰しない場合の要件の一つとして、公益を図る目的に出たことを必要としていることを根拠として、名誉毀損罪そのものについても所論のような主観的要素の存在を必要とする、というのであるけれども、同条の規定は、その定める要件を満たす場合は、たとえ同法第二三〇条の構成要件に該当する行為であつてもこれを罰しない旨を定めたものであつて、同法二三〇条の二の規定があるからといつて、名誉毀損罪そのものについても所論の主観的要素を要するものとすべきいわれはなく、所論は前提において誤つているので採用することができない。

論旨は理由がない。鈴木弁護人の控訴趣意第二点(法令適用の誤りの主張)について。

所論は、原判決は、刑法第二三〇条の二にいう真実の証明について、被告人に挙証責任があるものと解しているが、これをかように解しなければならないものとすれば、同条は、憲法第九八条によりその効力を有する人権に関する世界宣言第一一条の無罪の推定の規定に違反する無効なものであるから、刑法第二三〇条の二を右のように解釈適用して、被告人らにおいて摘示事実が真実であることの証明をなしえなかつたものとして有罪の言渡しをした原判決には、法令の適用の誤りがある、というのである。

しかし、刑法第二三〇条の二にいう事実の証明について挙証責任が被告人にあるといわれているのは、前に述べたように、同条の規定に基づき裁判所が摘示事実の真否につき職権によりその究明に努力したにもかかわらず、その真実であることを確認することができない場合は、真否いずれとも断定できない場合であつても、被告人において罪責を免れえない不利益を甘受しなければならないことを意味するに過ぎず、被告人の摘示事実の真実であることの主張立証も、あくまで裁判所の職権によるその真否についての証拠調べを促すにとどまるものと解すべきである。

そして刑事訴訟法は、無罪の推定を建て前とはしているが、元来右の建て前は、必ずしも完全な当時者主義を要請しているわけのものではなく、裁判所が必要に応じて職権をもつて証拠の取調べをし、事案の真相を明らかにすることを妨げるものとは解されないから、刑法第二三〇条の名誉毀損の事実についての心証を得た後、裁判所が、同法第二三〇条の二の要件事実につき職権をもつて審究すべきものと解しても、無罪の推定の建て前ないしは当事者主義の原則に反するいわれはなく、所論は独自の見解に立つて原判決の正当な判断を非難するものであつて、とうてい採用することができない。

論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意(量刑不当の主張)について。

所論は、原判決の被告人らに対する各量刑は軽きに過ぎて不当である、というので、本件記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して考察するのに、本件各犯行の態様、罪質、各被害者に与えた精神的苦痛、社会に及ぼした影響等に照らせば、被告人らの刑事責任は軽からざるものというべきであるが、なお、本件各犯行が、被告人らにおいて、李得賢らに対する別件強盗殺人被告事件の共同弁護人であつた立場から、同人らの万一の無実を信じ、そのえん罪を晴らそうとする意図からなされたものであつて、その動機においてじよすべきものの存すること、被告人らの各年令、経歴、職業、家庭の状況その他本件において、被告人正木が同鈴木に比しいささか積極的であつたことは否めないにしても、被告人両名に対する各量刑に差異を認めなければならないほどの事由が存するものとはなしがたいことなど諸般の事情をも勘案すれば、被告人両名を各禁錮六月に処するとともに、それぞれ一年間右各刑の執行を猶予することとした原判決の各量刑は相当であつて、軽きに過ぎて不当であるとは認められないので、所論は採用することができない。論旨は理由がない。

よつて、本件各控訴は、いずれも理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却し、当審における訴訟費用は、同法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して全部被告人らに連帯して負担させることとし、主文のとおり判決する。(石井文治 山田鷹之助 山崎茂)

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